映画が観たかったけどなかなか時間がなくて、
今年8月帰国するとき、たまたま空港の売店で小説を見かけたので、
かなり手頃の値段だし、小さくて持ち歩くのも便利だし、買ってしまった。

帰国の間にちょこっとちょこっと読んだりしてたけど、いろいろバタバタしてたので、
結局読みかけのままで日本に帰ってしまった。
そして後期の授業が始まり、地獄みたいな忙しい生活のせいで、全然読めなかった。
やっと今週火曜に今年最後のゼミが終わり、読書の時間がちゃんとできたので、二日間をかけて読み終わった。

もちろん、さまざまな批評のように、衝撃的な結末に驚いた。
いくら母親/教師の復讐からといって、説教くさいことに過ぎないだろうと思ってたけど、
結局そうではなくてほんとにびっくり。
しかし、あれだけの事をやったとしても、やはりあの事件の傷が癒される、とも言いがたいのではないか。
いずれにしろ、主人公の冷静さと決意の強さに対しては、ほんとに驚いた。

そして、各章の語り手がそれぞれ違うってのもかなり印象的だった。
それぞれ異なる視点から次々と事件の全体像が浮き彫りにされていく、っていう作者の意図は明らかであろうが、
読者として、それぞれの語り手の位置に当てはめ、さまざまな視点で楽しめる、っていうのが醍醐味だと思う。
読者の位置は常に客観的で、事件の全体像を俯瞰することができる。
もしくは、主人公と同じ視点で、主人公と共に事件を体験していく。
しかし、このように、各キャラクターの視点から見ることで、事件の複雑性が呈されている。
そもそも、世の中のいろんな出来事もそうだし、ひとつの事件に対して、人数分だけの側面がある。
現実においては、他人の視点で事件に対する経験や考えを捉えることはできないが、
小説における「語り」なら、そのようなことを可能にさせる力がある。
だからこそ面白く思えるし、視点の転換で衝撃をうける、と私はこういうふうに評価したい。

犯人である二人の少年の共通点といえば、マザコンってことかな。
自分が望む愛情を母親からもらえない。しかし母親には言えない。
だから壊れてしまう。なにもかも壊せばいい。
そうしたら母は僕の望むとおりに駆けてくれる、この孤独な僕を抱きしめてくれるだろう。
自分だけが特別で、誰も理解してくれない。だから孤独だ、だから母の愛情がほしい。
どう考えても重症の中二病だ。
このような思春期の歪んだ心境、誰でも経験したことがあるだろう。
むしろ、大人になった現在でも、そういうふうに考えている人は少なくない。
中二病って恐ろしい。いつまで続くんだろう?

小説を読み終わった。
いつも論文や教科書しか読んでないから、久々に読書したらすごく楽しかった。
今度は映画が見たい。
中島監督はどのように語ってくれるのか?それが楽しみだ。








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    六瀨 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()